有宗氏は1974年に大阪府立の東住吉高校を卒業した。
「芸能文化科」で有名に
大阪府立東住吉高校といえば、日本全国で初めて「芸能文化科」を開講したことで知られている。能、狂言、歌舞伎、文楽、落語、漫才など大阪にゆかりの深い芸能の保存・伝承を目的に1993年4月に設置された。有宗氏が卒業してから19年後のことだ。
「演劇科」は既に兵庫県立宝塚北高校などに既に存在していたが、総合的な「芸能文化科」は全国で初めてだった。
初年度の生徒数は40人だった。以下の2つのコースがあった。
コース名 |
学習内容 |
芸能1類 |
能、狂言、歌舞伎、文楽など伝統芸能を学ぶ。 |
芸能2類 |
落語、漫才などお笑い芸能を学ぶ。 |
「創作実習」の落語の授業では、上方落語の林家染丸師匠(当時43歳)が講師になった。このほか、桂三枝(集中講義)、狂言の茂山あきらら、大阪のプロの芸人が顔を連ねた。1993年2月の入学試験には103人の生徒が受験した。生徒の中には和歌山県、奈良県から2時間かけて通学している者や、親類の家に下宿して通う岡山県出身の者もいた。
府教委と教組が対立
この芸能文化科の開設をめぐっては、「伝統文化の良き理解者を育てる」とする府教委と、「高校の教育課程になじまない」と反対する教組(教師の労働組合)、父母の間でホットな論争が起きた。
教組側は、落語家で、同科のカリキュラムなどを検討する研究委員会委員の桂三枝さんたちや教育委員に見直しを訴える手紙を送るなど反対運動を繰り広げた。
教組側の反対の理由は主に以下の2つだった。
- 府教委は父母や学校側と事前協議せず、十分な説明もない。
- 「芸能」分野が公教育にふさわしいかどうか、教職員や父母、府民の合意がない。
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有宗氏は、1978年3月に関西大学法学部を卒業した。略称は「関大」。
有宗氏の先輩としては、プロ野球の歴史的な名監督として知られる上田利治氏(阪急、オリックス、日本ハムファイターズ)が有名だ。
日本の私学のブランド
上田氏は徳島海南高校の出身だった。東京に中央大学、大阪に関西大学。その両校の法学部は、その頃から日本の私学のブランドであった。
徳島海南高野球部の市川隆夫監督に、関西大学野球部の川村善之監督から熱い打診が入る。川村は「推薦で入れます」といい、市川は「アハハ…上田は学力優秀なんです。推薦なしで試験は突破します」と返し、実際、上田はトップ3内の成績で入学した。
関大は野球も強い。法学部も評判がいい。願ったり叶ったり。関大法学部の学生、上田利治が誕生した。
有宗氏は、「村上ファンド」の村上世彰氏(元経産省官僚)に似ているところがある。
有宗氏は村上氏の5歳年上である。2人とも大阪市出身だ。
M&Aの法制業務を担当
村上氏は1996年、通商産業研究所の主任研究官として株式交換制度などM&Aの法制業務を担当した。1999年に通産省(現:経済産業省)を退官した後、関係者へ宛てた挨拶状にこう書き記していた。
「行政官として行ってきたことの多くは、本来マーケットで解決すべきではなかったか。特に昨今の経営効率化要求は、本来、株主が声を大にして主張すべきことではないのか。(中略)特に、M&Aの手法を使いながら企業のシステムを変えていきたいとの気持ちを押さえられなくなり、今日の起業に到りました」
M&Aコンサルティングの役員陣は、村上代表の灘高時代や東大法学部時代の友人で占められていた。村上ファンド(エム・エイ・シー/MAC)の大株主に名を連ねたゲームソフト大手、スクウェアの創業者・宮本雅史(みやもとまさふみ)氏も、灘高時代の先輩だという。
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